(5) 「形式知」と「暗黙知」について その3

私自身は、お酒がまったく飲めないので、それほど頻繁ではないですが、連れがいた場合には、海外でスナック等のお酒を提供する店や和食レストランに行くこともあります。

日本人御用達のお店に行くと、ウェイトレスやホステスさんたちは皆日本語で話しかけてきます。

たどたどしい者から、達者な者まで様々ですが、日本人客とのコミュニケーションのためには、日本語が必要不可欠となっています。

つまり、彼女らにとっては、日本語のマスターは、死活問題なのです。

それで、どのようにして日本語をマスターするかというと、仕事が始まる前に勉強することもあるようですが、基本的には会話の中で学んでいるようです。

フィリピンにも、居酒屋や和食レストランがたくさんあります。

私がよく行く居酒屋レストランにも、日本語が堪能なスタッフがいます。

そこそこ年配のあるウェイトレス(おそらく40歳前後だと思います)は、その居酒屋で勤めて2年になると言っておりましたが、かなり日本語が達者です。

どうやって勉強したのか訊きましたら、勉強は一切していない、すべてお客さんとの会話から学んだと、もちろん日本語で即答しました。

彼女らは、当然、日本語文法書や単語帳なんて持っていませんし、知る方法すら知りません。

「暗黙知」とは、本来そのように経験しながら習得していくものなのです。

 

「英語脳」という言葉を使いたがる人たちがいます。

英語はいったん日本語に訳してから英語のまま理解できるようにならないといけないと主張します。

そして、その次が、書籍やCD、DVDの売り込みです。

「私はまだ頭の中で英語を日本語に訳している」そう悩む人たちを罠に掛けて稼ぎまくっています。

しかし、英会話をマスターする過程で、いったん日本語にしてから理解しようとするのは誰でも当たり前のことなのです。

悩む必要なんてまったくありません。

「英語脳」などというへんてこりんな造語を使わなくとも、ある程度喋れるようになるころには、日本語を仲介しないで理解できるようになります。

無意識でできるようになることが「暗黙知」ですので。

至極当たり前のことをわざわざ「英語脳」などと呼ぶ方が不自然なことなのです。

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